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自分と向き合う(生きている意味 ver.)
ここのところ私は何をしているのかと言うと
ほとんど家に引きこもってます。

引きこもるきっかけとなったのは、
かれこれ始まってから一年半以上が過ぎようとしている
五十肩が原因。

最初は左腕を上げようとすると違和感があり、
だんだん痛みと共に上げられも回すことすらままならなくなり、
そんなところに実家から老猫を引き取って看病の日々が始まります。

何をするにしても激痛が走り、
どんどん腕も自由に動かすことができなくなって。
痛み酷くなると夜間の激痛が始まり睡眠がとれず
「なんでこのタイミングなんだよ」と、精神的には結構追い込まれ
生きていること自体が辛く感じられました。
それでもマクロビオティックの学校で習ったお手当を
実践し、引き取った時点で病院に連れていくと
「今日明日です」と言われたけれど、
そこから3ヶ月一緒に過ごしました。

ニャンコが逝ってからも痛みは続き、
逝ってしまった喪失感と、「また置いていかれた」と言うような寂しさと
夜寝られない分、昼間ウトウトとするので何かをやりたいと言う
気力も湧かずに数日が経ったのだけど、
私は時々ダメな時に180度反対側の行動を取る思考に
振れるクセのようなものがあって。

突如「イヤイヤ、彼はきっと私にそんなことは望んじゃいない。
彼の分まで自分の人生を生かさなきゃ」と、
今まで自分が行ったこともない(行きたいとそもそも思わない)
異業種パーティーに参加して、更に自分にチャレンジを
課して、希望者はスピーチできますと言うので
何十と言う人の前で、そのパーティに参加した経緯と
その時の私の状況をそのままお話ししたのでした。
ここらへんのことは過去のブログにも書いたかもしれない。

一昨年の4月から1年間通っていた循環生活を学ぶ学校
「風と土の自然学校」を主催する梅ちゃんが
今年の5月に陰陽五行のクラスをやってみないかと昨年の10月ごろに
声をかけてくれて、
ニャンコの看病が未来にあることも知らなかったし、
自信がなくて怖くて「え?!ムリだよ…」とは思ったけど「やってみる!」と
返事をしてしまったので、「約束は守らなきゃ」と
「でも今はできる状態じゃない」の間でかなり最終の開催決定の返事をする
その日まで気持ちは揺れました。

5月のクラスが終わるまでの日々は
「この辛い日々、終わる気がしない」
「いやいや、将来の自分のためだから、今頑張ろう」
「クラス開催の日、本当に来るんだろうか」
「時間が流れてる気がしない」
というようなことが頭の中でずっとループしてました。

当時、自分の中のイメージであったのは、
底なしの空間の上にサラサラとした砂が広がり、
遠くにクラス開催の日の旗が立っていて
そこに向かって気持ちだけが「早く終わりたい」と
思いながら少しずつ重く沈んでいく足をなんとか前に出しながら
状態を前傾にしながら上半身を重りに前へ前へと。
水も飲んでいないような状態で体も重ければ心も重て、
全く前に進んでる感覚がなくて、時間も流れている
感じがしなくて、その日が来るまでにどっかで
「自分死んじゃうんじゃないか」
「これ終わったタイミングで死んじゃえたらいいだろう」
なんて考えることもありました。

終わると長い長い緊張がとけたせいか、
大量の鼻水がノンストップで流れはじめました。


ゆっくりしたいと心は感じていたのだけど、
「イヤイヤ、ここで止まったら私止まっちゃう」と
そこから自宅でのクラス開催に向けて動き出します。

ホームページ作ったり、無料の女性起業カウンセラーの方に会いに行ったり、
集客のため、どうやって知ってもらおうかなんてことを考えて。

その間も五十肩の痛みはずっと続いているので、
良い治療院はないかと色々なところを探しては行き、
一定期間通っても改善が得られないとまた違う治療院を探して。

治療してくださる方、みなさん良い方ばかりでしたが
「痛み」は本当に辛くて、もっともっと辛い病気や怪我を
している人は世の中たくさんいるのは知っているけれど、
自由がきく分、抑制される辛さも痛さも私には
本当に辛く「こんなに払っているのにここもダメか」と
言う気持ちで駆り立てられるように
「どうかこの痛みを一回でとは言わないから解放してくれる
治療院にめぐり合わせてください」と念じながら探してました。


そんな中、一旦私の足が止まります。
きっかけは作ったホームページを人に見せたところ
「この教室名はどう読むのかわかりづらいから知ってもらい辛いかも」
と言うアドバイスでした。

少しずつ自分を奮起させて少しずつでも進めることで
全ては前に動いて行ってくれると思っていたものが
既にその名前でホームページも作ってしまっていたし、
最近のよくできた自分で作れるホームページサイトを使った
ホームページ作りとはいえ、それでも結構見せるまでの
時間と労力は結構だったので、
「これをまた新しいクラスの名前を考えて作り直すの?」と
思ったら、もう無理でした。


今度は新しいクラス名を探すことに希望を見出し進んで見れば
いけるんじゃない?!とそちらに気持ちを向けて見ようと努力もしてみたけど
ウンともスンとも感じない。
数人の友達に「このクラスの名前、どう思う?」と聞いてみると
皆「いいよ!ちゃんとその名前にした理由が語れることが素晴らしいんだからそれでいい!」
とほとんどの友達は肯定してくれたんだけど、
私の気持ちが「だよね!」とならない。
もう新しい名前にも今の名前にも、クラスをやることすらも
なんかもう気持ちが感情の幅を持たなくなりはじめていると言うか。


それでも狭くなった幅の中には「やる」と言う感情を抜きに動ける部分が
残っていたと言うのか、その部分だけが自分のプライドとか自尊心と
一緒になって、
夏にはニューヨークで知り合えたマクロビの先生、なっちゃんが
一時帰国し、ウォーターケフィアのクラスを開催すると言うので、
会場としてウチを使ってもらい、一切のお金は頂かないので、
これから始める(であろう)クラスの紹介をさせてもらうことにしたのだけど、
結果、誰にも連絡はしないままとなりました。

残ったのはなっちゃんからウォーターケフィアを教える認定クラスの
約束なのだけど、もう自分の中ではそれに向けて動こうとどうエンジンを
かけようとしてもかからなくて、でも大好きな友達の期待を裏切りたくない
と言う気持ちが強くなればなるほど動けなくなっちゃって。

ここら辺から自分の体ともっとちゃんと向き合おうと思いはじめ、
Facebook も開くのをやめました。

携帯を持っている腕が痛たむのと画面を見る目が疲れるので、
そこから首、肩周りの筋肉が固まってしまうので。
携帯を使う時間を大幅に減らそうと思った。
私の友達は素晴らしい人が多い。
多い分、応援したくなる。
素晴らしい!素晴らしい♡ とじわっと幸せに包まれるのと同じように
皆んなのキラキラが私にはちょっと疲れてしまって。

なっちゃんにも悩んだ挙句、クラスのことはとりあえずお断りをして、
これで本当に自分だけになった感じがした。


その頃、図書館から木内鶴彦さんの本が届いたと言う連絡をもらい
携帯を本に持ち替えて、面白くて、面白くて、貪るように読みはじめました。

木内さんは言います、
死は急がなくても必ず保証されているものなので、
考えずに充分に自分を使い切って「ああ、この世って楽しかった!」って
終わりましょうって。

そこで思うんです、「私のできることってなんなんだろう?」って。
こんなに世の中のために役に立ちたいと思っていても
取り立てて特技もなければ専門的な知識もない。
私は「こういう者です!」って言えるほどのアイデンティティもない。
これで果たして生きている意味があるんだろうか?って。

そうすると大好きなお婆ちゃんや面白かったお母さん、
愛おしくて可愛かったニャンコ達、私を自分の子供と同じように大切にしてくれた
亡くなった人たちの世界へと思いが飛ぶわけです。

どんなにあっちの世界に行けたらいいだろうかぁ〜 って。
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